2023年も宜しくお願い致します!!

friends

2023年も皆さまよろしくお願いいたします!って、おっそ〜〜い!

2023年も皆さま!よろしくお願いいたします。と言っても、もう6月ですけども。。。
Blogでお伝えしていたかーさんですが、1月から体調が悪くなり、2月2日夫婦の日に68歳で天国へ旅立ちました

葬儀や、77日などが終わりまして、かーさんを大好きすぎるとーさんの心が1番心配だったのですが、少しずつ普段の生活+卓球に燃える日々になってきていますので、少し安心し、

僕も、かーさんが天国へ旅立つ前から溜めてしまっていた仕事がようやく終わり、新たなスタートを6月から始めていきます。

そんなわけで、落ち着いてきたのでBlogを書いております。

僕の中では、ようやく今年が始まる感覚であります。

今年かーさんが旅立つまでの闘病?生活の原田家

かーさんは、1月に入り徐々に寝る時間が長くなっていき、ご飯も食べれなくなり天国へ旅立ちましたが、1月は親戚が沢山遊びにきてくれたり、1月11日には最後のカラオケも出来まして

ご飯が食べれなくなったのと、大好きなコーヒーもノンアルコールビールが飲めなくなったのも、最後の3日間ぐらいでした。

病院での療養ではなく、在宅看護で最後を看取ることにしたので、もしもの時の不安は多少ありました。

肺癌は体の痛みが凄いらしいという情報は知っていたので、そうなった場合、夜寝れなかったら、とーさんも僕も一緒に起きているようになるし、

痛みに苦しんでいるかーさんを見るのは、精神的にも辛いだろうと思ったり、

高齢者てんかんも持っているので発作が出たら?認知症も悪化したら?

などなど、もしかしたら、だらけでしたが、

そんなマイナスのことは、頭の片隅にしまっておいて、原田家らしくとことん楽しんだ在宅看護でありました

そのお陰かどうかは分かりませんが、癌の痛みは全く無く、痛み止めもロキソニンを飲んでいただけで、爆睡していたかーさんでした(笑)。

てんかん発作も出ることはなく、認知症も、悪くなることはなく、最後の3、4日は、呼吸が苦しそうな症状はありましたが、

お医者さんや看護師さんに「覚悟はしておいてください」と言われたその日に、

弟が会いにきて帰り、とーさんが寝て30分後にかーさんは旅立ちました。僕は曲作りに集中していた時でした。

人に心配されるのが苦手な、かーさんらしく、みんなも寝たことだし、ヒデは音楽に集中してるし、「これ以上生きると色々と心配かけちゃう!んじゃ、みんな元気で〜!!」という感じのカッコ良い最後でした。

ですが、いつも飲んでいた健康飲料のメイバランスを体調が崩れてからは、寝起きに2本飲んで、1日に3本から4本飲んでいたので、元気になろうとかーさんは頑張っていたんだと思います。

普段は、朝と昼で1日に2本を飲むペースだったので、そんなにメイバランスを飲む姿は初めてみました。

本音を口に出す人ではなく、陰で頑張る人でしたので本当のことは分かりませんが、まだ生きたかったんだろうと僕は感じています。

愛ある優しい方ばかりで幸せでした

癌になると、お医者さんは3大治療を勧めてきて、「それは金のためだ!」なんて情報もあったりしますが、

かーさんのお医者さんは、本人の体の状態や癌の種類の進行度をみたり、僕と父が望むことを尊重してくださり、

3大治療を、お勧めしてきませんでしたし、かーさんの体を心配してあれこれと素早い対応をしてくださいましたし、在宅看護の看護師さんも愛がある優しい方ばかりで、楽しく温かい時間を過ごすことが出来ました。

ご縁のあった素敵な看護師の武藤さん

しかも、その看護師さんはかーさんが6年前ぐらいに入院した時にも、病院でお世話になってかーさんのわがままを聞いてくれていた方でした。

とーさんが、かーさんのことを一生懸命看病していたので、忘れずに覚えてくださっていました。

最後に看取ってくれたのも、エンゼルケアをしてくれたのも、その看護師さん。武藤さんという方です。

美空ひばりさんの曲やかーさんのダンス総集編のyoutubeを流しながら、かーさんの体を綺麗に出来たのも、武藤さんが原田家の雰囲気を知っていて理解してくださったからこそ、少々賑やかなエンゼルケアも、快く受け入れてくれたのだと思います。

とても綺麗にエンゼルケアをして頂きまして、写真を何枚も撮ってしまった僕であります(笑)

かっぱのご縁?葬儀社さん

葬儀社の方も、とても優しく親切で愛ある対応ばかりで、最初はあまりに優しいので、絶対に、ぼったくられるから注意しようと、とーさんと作戦会議を立てました(笑)。

そんな心配は全くなく、原田家らしい楽しい葬儀を行うことができました。

ピンクが大好きなかーさんだったので、ピンクの棺、ピンクの骨壷、お花もピンクメインでと、ピンク尽し!!(笑)

生前にレコーディングしておいた、かーさんが歌う愛燦燦をお経の時以外はずーと流したりと、かーさんの好きなものと、かーさんの声に包まれたお葬式になりました。

取手なのに、ご機嫌にとーさんが選んできた葬儀社さんは、なぜか牛久の葬儀社さんだっということに、かっぱ様がお手伝いしてくれたのかな〜なんて考えたり、ご縁はやはり不思議ですね。

とーさんとかーさんのカラオケ動画

とーさんとかーさんとのカラオケ動画も、50人ぐらいに観て頂けたらもう十分!って感じだったのですが、平均200人ぐらい、ありがたいことに合計5000視聴ぐらい観て頂きました。

かーさんは、若い頃アイドルを夢みていたので、少しですが、歌を色んな方に聴いてもらうという、夢を叶えることができたかな〜と思っています。

かーさんの人生の最後の2年間は、色々出来て良かったかな〜。多分。。。(かーさんのみぞ知る(笑))

60歳の頃、心臓の手術で半年入院し、ペースメーカーを入れ、帰宅して2日後に転んで、歩けなくなり、全身が痛くなり、寝たきりになり、回復、ダウン、回復、ダウンを繰り返して68歳まで生きてきたかーさんでしたが、

人生の残り2年間は、とーさんと普通に晩酌もでき、外に行けるようにもなり、買い物もでき、散歩もでき、キーボードも弾いて、歌って、お華も生けれて、ドリフを観て大爆笑して、楽しく過ごせたかな〜と思っています。

そんな、かーさんととーさんの姿を見れるようになって、僕はとても幸せでした。

完璧に歩けるようになればと、思ってもいましたが、僕が39歳の頃に描いた夢というか目標は、とーさんとかーさんが、普通に晩酌できるようになること!だったので、夢は叶いました。

かーさんが歩けるようになってはダメになる夢(寝ていて見る夢)を何度もみましたが、現実世界で歩けるようになって本当良かったです。

ダンスが出来たらもっと良かったんですが、リハビリの先生と踊っていたから、まっいっか♫

皆様、沢山の愛、沢山の優しさをありがとうございました。

お医者様や病院の皆様、在宅看護の看護師の皆様、在宅介護士の皆様、葬儀社の皆様、

Youtubeを観て頂いた皆様、自分の都合で仕事のスケジュールの変更をして頂いた仕事の関係者の皆様、

心配してご飯を作って持ってきて下さったり、優しい気遣いをして下さった生徒の皆様、メッセージをくれたり、相談にのってくれた友達、心配して遊びに来て下さった親戚の皆様、

「かーさんにもっと会いにくれば良かった」と言いながら、最後の日にしっかりと、かーさんに会いに来て涙を見せた弟、

そして、8年間かーさんの介護を嫌な顔一つもせずに、最後までしっかりとかーさんを看取ったとーさん。

最後まで、元気全開で冗談ばっかり言っていたかーさん。

皆様、沢山の愛、沢山の優しさを下さいまして、本当にありがとうございました。

皆様のお陰で、とーさんもかーさんも僕も、闘病というより、燈病、笑病、楽病な時間を過ごすことが出来ました。

とーさんに、葬式で涙が止まらなくなったら、ヒデがなんとかしてくれと言われ、弟も泣き、僕は、涙を流すタイミングを逃し、まだちょびっとしか泣いていないので、

落ち着いてきた今は、なんだか心がからっぽというか不思議な感覚の僕ですが、そろそろ号泣しようと思っております(笑)。

かーさんのお陰で、命について沢山のことを学ぶことが出来ましたし、かーさんの生き様のカッコ良さにとことん尊敬した今年前半。

この学びを活かして、これからも音楽活動を楽しんで励んで参りますので、こんな僕ですが、皆様2023年もよろしくお願いいたします。